もし、乗る予定のない電車の維持のために、毎年あなたの財布から新しい税金が引き落とされるとしたら、どう感じますか?
滋賀県に暮らす一人の住民として、私は今、少なからぬ不安を抱きながら日々のニュースを見つめています。2026年7月、地域公共交通の維持を掲げる三日月大造知事が4選を果たしたことで、県が導入を目指す全国初の新税「交通税」の議論は、いよいよ本格的な実施に向けてカウントダウンに入りました。
滋賀で暮らす上で、車は単なる移動手段ではなく、生活の「足」そのものです。平日のスーパーへの買い物、休日のショッピングモール、子供や高齢の家族の送り迎え――一家に複数台の自家用車がある生活は、この地ではごく当たり前の日常です。だからこそ、「なぜ車しか使わない自分まで負担しなければならないのか」という戸惑いが生じるのは、至極当然のことだと言えます。
しかし同時に、人口減少が進む日本において、現在の公共交通が限界を迎えているのもまた冷徹な事実です。
話題のワダイでは、滋賀県民としてのリアルな生活実感を交えながら、世界や日本における地域交通の大きなパラダイムシフト、滋賀県が全国に先駆けてこの議論を進める背景、そして交通税がもたらすメリットと懸念点について整理します。
「持続可能な社会の実現」という美しい言葉の裏で、私たちの暮らしと地域社会に何が起きようとしているのか。いま一度、住民の視点から立ち止まって考えてみましょう。
もちろんこれは滋賀県だけの問題ではありません。滋賀県をきっかけにして全国で導入が進む可能性は極めて高いのです。
第1章:なぜ今「交通税」なのか?知っておきたい「公共交通の限界」

そもそも、なぜ私たちは今、公共交通を維持するための「税金」という新たな負担を突きつけられているのでしょうか。その根本には、大正・昭和期から続いてきた「公共交通は運賃収入だけで自立すべきだ」という独立採算制の崩壊があります。
これまで日本の鉄道や路線バスは、基本的には民間事業者の企業努力と乗客が支払う運賃によって成り立ってきました。しかし、以下の3つのメガトレンドが同時に押し寄せたことで、そのビジネスモデルは完全に立ち行かなくなっています。
- 急激な人口減少と高齢化: 通学する学生や通勤客という「固定客」そのものが減少しています。
- モータリゼーションの極限化: 滋賀県のように自家用車依存度が高い地方都市では、日常の移動における公共交通のシェアが極めて低くなっています。
- 乗客減少の負のスパイラル: 乗客が減る→本数が減る→運賃が上がる→ さらに不便になって乗客が減る、という悪循環が全国で常態化しています。
かつては「黒字の都市部路線が赤字の地方路線を支える」という内部補助制度が機能していましたが、もはや支え手である都市部路線にもその余裕はありません。私たちの足元で、地域インフラの土台が静かに、しかし確実に崩れ落ちているのです。
第2章:世界と日本の潮流から見る「みんなで支える」仕組みへの転換

この問題に直面しているのは、決して滋賀県だけではありません。視野を広げると、「乗る人だけが払う」から「地域全体・社会全体で支える」というコペルニクス的転換が、世界的な潮流となっています。
海外の先進事例:フランスの「交通付加金」
特に有名なのがフランスの「交通付加金(Versement Mobilité)」制度です。これは一定規模以上の企業に対し、従業員の移動環境を整備する目的で、給与総額の一定割合を課税する仕組みです。
ヨーロッパでは古くから、「質の高い公共交通があることで、車を持たない従業員も雇用でき、道路渋滞も緩和され、結果的に企業や住民全体が恩恵を受ける」という社会的共通資本としての思想が根付いています。
日本国内の模索
日本でも近年、従来の「赤字になったら国や自治体が補助金を補填する」というその場しのぎの対策から、持続可能なシステムへの脱却を模索する動きが活発化しています。
滋賀県が検討する「交通税」は、まさにこの「社会全体で支える思想」を、地方自治体の独自の税制として日本で初めて具体化しようとする壮大な挑戦なのです。
第3章:なぜ滋賀県がトップランナーなのか?「近江鉄道問題」から「県全体」への拡大
では、なぜ他府県ではなく滋賀県がそのトップランナーとなったのでしょうか。そこには、県内を走るローカル私鉄の危機と、県の粘り強い取り組みの歴史があります。
議論の出発点:近江鉄道の危機と「上下分離方式」
最大の契機は、県東部を走る「近江鉄道」(地元では親しみを込めて「近江ガチャコン」と呼ばれます)の赤字問題でした。大正時代からの歴史を持つこの路線ですが、巨額の赤字を前に一時は存廃の危機に立たされました。
県と沿線自治体は対話を重ね、2024年4月から「上下分離方式」へと移行しました。これは、線路や駅舎などのインフラ維持(下部)は自治体が公的に保有・管理し、列車の運行(上部)は引き続き近江鉄道が担うという仕組みです。

「特定路線のため」から「県全体」のビジョンへ
しかし、この仕組みを維持するためには安定した財源が必要です。

近江鉄道という一私鉄を救うために、なぜ無関係の地域の住民まで税金を払わなければならないのか!
という県民の不満は当然上がりました。
そこで県は議論を拡大し、単なる一路線の救済ではなく、県全体のバス網やデマンド交通、JRとの連携などを含めた「滋賀地域交通ビジョン2040」を策定。滋賀県全体の交通インフラの底上げを図るための目的税として、交通税の構想をリデザインしたのです。
2026年3月に発表された滋賀県税制審議会の「中間答申」では、県税の「超過課税(上乗せ課税)」を基本とし、個人・法人を問わず広く課税対象とすることが適当であると提言されました。
第4章:交通税がもたらす「効果とメリット」:私たちの暮らしはどう変わる?

感情的な反対論に終始せず、もし税が導入された場合に私たちの生活にどのような「リターン」があるのかを客観的に評価することも重要です。
公共交通の劇的な利便性向上
確保された財源(目指すべき将来像の実現には年間約 148億5,000万円の費用が必要と試算されています)によって、以下のような施策が可能になります。
環境負荷の軽減(CO2排出削減)
滋賀県といえば美しい琵琶湖を擁する環境先進県です。自家用車から公共交通へのシフトが進めば、交通混雑の緩和に加え、地球温暖化の原因となるCO2排出量の大幅な削減が期待できます。
「もし公共交通がなくなったら」の逆シミュレーション
最大のメリットは、「負の未来を回避できること」かもしれません。もし公共交通が全滅すれば、以下のような問題がドミノ倒しのように発生します。
公共交通を維持することは、使わない人にとっても「社会のセーフティネット」を維持することと同義なのです。
第5章:見過ごせない「デメリットと懸念点」:県民が抱くモヤモヤの正体

一方で、一人の滋賀県民として、手放しでこの新税を歓迎できない「モヤモヤ」があるのも事実です。その正体は、以下の3点に集約されます。
1. 「受益と負担」の圧倒的な不公平感
滋賀県は、大津市や草津市などの南部都市部と、湖東・湖北・湖西などの北部・周辺部で、交通インフラの充実度に天の地ほどの差があります。
駅まで徒歩数分の都市部に住む人と、最も近いバス停まで数キロあり、バスも1日に数本しか来ない山間部に住む人が、一律に税を負担することに対する「納得感」をどう醸成するのか。
車がなければ一歩も外に出られない地域の住民からすれば、「恩恵がほぼゼロなのに、なぜ支払わなければならないのか」という不満が生じるのは極めて自然です。
2. 負担額のリアルな試算
2026年3月の中間答申で示された個人向けの具体的な課税試算案では、「個人住民税に上乗せする形で、1人あたり年間 400円~2,700円の超過課税が検討されています。
金額単体を見れば「月数百円でペットボトル数本分」かもしれませんが、電気・ガス代や物価の高騰が続く現在、家計にとって「増税」という言葉が持つ心理的抵抗感は数字以上に重いものがあります。
3. 「対話」の形式化への不安
県は「丁寧な対話」「参加型税制」を強調し、多くのパブリックコメントや住民説明会を重ねてきました。しかし、私たち住民の目には、「すでに導入されることが既定路線であり、アリバイ作りのための対話になっているのではないか」という疑念がどうしても拭いきれません。合意形成のプロセスが真に民主的であるかどうかが、今まさに問われています。
まとめ:これからの滋賀、そして日本はどう歩むべきか

滋賀県の交通税を巡る挑戦は、単なる地方の一大イベントではありません。少子高齢化と人口減少に喘ぐ日本全体の地方都市が、数年後に必ず直面する「移動の権利をどう守るか」という切実な問題の壮大な先行実験です。
もし滋賀県がこの税制を軌道に乗せ、利便性の高い持続可能な地域社会モデルを提示できれば、それは日本全国のロールモデルとなるでしょう。しかし逆に、住民の十分な合意がないまま増税だけが先行し、大した利便性向上も実感できなければ、地方自治への不信感だけが残る最悪の結果を招きかねません。
私たち住民に求められているのは、単なる「納税者(被害者)」として文句を言うだけの存在から脱却し、「自分たちの地域の交通をどうデザインしたいか」を主体的に選択する主役になることです。
「近江ガチャコン」が走るのどかな田園風景を守り、子供たちが元気に通学し、お年寄りが安心して病院に通える滋賀の未来。
「あなたは、ご自身の生活、そして地域の未来のために、年間いくらの負担であれば納得できますか?」
この問いに対する答えを、私たちは一人ひとりが今、真剣に導き出さなければなりません。



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