こんにちは!最近、ニュースやネットで「老害」なんて言葉、よく見かけませんか?なんだかドキッとする言葉ですが、今回はこの「老害」というキーワードを軸に、少し前の永田町を揺るがした出来事から、日本の政治や社会が抱える「世代交代」の問題について、一緒に考えてみたいと思います。
私も、日常生活や職場で「うーん、これってちょっと時代とズレてるかも…」なんて感じる場面に出くわすことがあるので、このニュースは他人事じゃないなと感じました。
「ルールを覚えて」発言が炎上!なぜ「老害」と批判されたのか?

発端は、2025年5月末、野村哲郎元農相(81歳!)が、小泉進次郎農相の進める備蓄米の新しい売り方に対して「ルールを覚えてもらわないといけない」と苦言を呈したことです。これが報じられると、ネット上では「また老害か」「国民が困ってるのに、ルールがそんなに大事?」といった厳しい批判が噴出しました。
小泉農相が進めようとしていたのは、「令和の米騒動」なんて言われるくらい深刻だったお米の品不足と価格高騰への対策。具体的には「備蓄米5kgを2000円で」供給するという、消費者にとってはありがたい話でした。
これに対して野村元農相が「待った!」をかけたのは、自民党内の「ルール」、つまり農林部会でちゃんと議論して、政務調査会、総務会といったステップを踏んでないじゃないか!ということだったんですね。
確かに、組織にはルールがつきものです。でも、多くの人が「え、今それ言う?」と感じたのではないでしょうか。
私も以前、職場で緊急性の高いトラブルに対応しようとした時、細かすぎる社内ルールが壁になって、もっと早く対処できたはずなのに…と歯がゆい思いをした経験があるので、ルールと現実のバランスって難しいなと感じます。
この批判が「老害」という言葉と結びついた背景には、いくつかのポイントがありそうです。
老害と言われた背景

📌国民感情とのズレ: お米が高くて困っている人が大勢いる中で、党内手続きという「内輪のルール」を優先するかのような姿勢が、まず反感を買いました。
📌変化への抵抗: 「若い世代が新しいことをやろうとすると、年長者が出てきて昔ながらのやり方を押し付ける」という構図に見えたこと。
📌年齢: 野村元農相が81歳というご高齢だったことも、「古い考え方」というイメージを強めてしまったかもしれません。
「老害」という言葉は、単に年を取った人を揶揄するだけじゃなく、もっと深い社会の不満を映し出しているように思います。なかなか進まない世代交代、旧態依然とした組織運営、変化を拒む空気…。そういったものへの不満やいら立ちが、今回の野村氏への批判に凝縮されていたのではないでしょうか。
なぜベテラン議員は「ルール」にこだわったのか?
では、なぜ野村元農相は、あえて批判を覚悟で「ルール」に言及したのでしょうか?単に頭が固い、ということだけでは説明がつかない部分もありそうです。
組織運営の「常識」?

野村氏にしてみれば、自民党という大きな組織で政策を決めるには、関係各所の意見を聞き、合意を形成するプロセスが不可欠だ、という長年の「常識」があったのでしょう。
「若手が勝手に突っ走るのは組織の和を乱す」と感じたのかもしれません。森山幹事長に「先生から“ちくり”と釘を刺して」と頼んだという報道からは、党の重鎮が若手を指導し、秩序を守るべきだ、という世代間の役割意識も透けて見えます。
「農政」の守りたいものがあった?

野村氏は農協の出身で、長年、日本の農業政策、特にJA(農業協同組合)と深く関わってきたベテランです。JAといえば、伝統的に米価を安定させ、国内農家を守るという立場を取ってきました。
小泉農相の備蓄米放出による価格引き下げ策は、JAが守ってきた構造に影響を与える可能性がありました。 だから、「ルール」や「党内手続き」を重視する発言の裏には、JAをはじめとする農業関連団体の意向を政策に反映させたい、という思いがあったのかもしれません。
小泉農相のように大臣主導でスピーディーに物事を進められると、そうした団体の声が届きにくくなる、という懸念もあったのではないでしょうか。
政治手法や価値観の違い

じっくり時間をかけて合意形成を目指す野村氏のような伝統的な政治スタイルと、小泉農相のようなトップダウンでスピード感を重視し、メディアも意識したやり方。
ここには、世代間の価値観や政治文化の大きな違いがありそうです。小泉農相は「緊急事態ですので、じっくり議論をいただいて、その上じゃないと動けないと言ったら、この結果は出せません」と反論しており、危機対応にはリーダーシップによる迅速な判断が不可欠だ、という考えを示しています。
「老害」の一言で済ませていい? でも、やっぱり「世代交代」は待ったなし!

もちろん、何でもかんでも「老害」「抵抗勢力」とレッテルを貼って思考停止してしまうのは危険です。かつての小泉純一郎政権時代にも「改革派 vs 抵抗勢力」という分かりやすい構図がありましたが、トップダウンの改革が必ずしも全て良い結果を生むとは限りません。手続きの正当性や、様々な立場からの意見に耳を傾けることの重要性も忘れてはいけないでしょう。
しかし、今回の騒動を見ていると、やはり日本の政治、そして社会全体の「世代交代の遅れ」という根深い問題を突きつけられているように感じます。
野村元農相は過去にも「私も(米は)買ったことはありません」といった発言で物議を醸したことがありました。こうした庶民感覚とのズレも、「時代遅れ」という印象を強め、「老害」批判を呼び込みやすい土壌を作ってしまったのかもしれません。
小泉農相の進め方にも、備蓄米の随意契約への切り替えの法的な妥当性など、議論すべき点はありました。しかし、そうした個別の政策論争以上に、多くの人が反応したのは「変化を阻む古い体質」そのものだったのではないでしょうか。
未来のために、今こそ勇気ある世代交代を

この一件は、単なる一政治家の発言問題ではなく、日本の政治が抱えるいくつかの大きな課題を象徴しているように思えます。
🔑 昔ながらの合意形成を重んじる文化と、変化の時代に求められる迅速なリーダーシップとのギャップ。
🔑 特定の業界や団体の影響力と、国民全体の利益を考えた改革の難しさ。
🔑 そして何よりも、高齢化する政治指導層と、社会が渇望する「世代交代」の遅れ。
「老害」という言葉は、時に過激でレッテル貼りになりがちです。でも、その言葉がこれだけ多くの人の共感を呼んでしまう背景には、現状への強い危機感や、新しい時代への期待があるのではないでしょうか。
危機に際して、確立された手続きはどこまで守られるべきか? 経験豊富なベテランの知恵と、若い世代の新しい発想や行動力を、どうすればバランス良く政治に活かせるのか? 「緊急事態」を理由にした手続きの省略が当たり前になったら、私たちの社会はどうなってしまうのか?
今回の騒動は、私たち一人ひとりに、そんな問いを投げかけているのかもしれません。変化の岐路に立つ日本。古い価値観やシステムにしがみつくだけでなく、新しい世代がもっと伸び伸びとリーダーシップを発揮できるような、そんな社会への転換が求められています。
私も、若い世代の一人として、もっと自分たちの意見が反映されやすい社会になってほしいと願っていますし、そのためには既存のやり方にとらわれず、新しいことに挑戦していく勇気が必要だと感じています。
もちろん、経験が全て無意味だなんて言うつもりはありません。しかし、その経験が未来への足かせになってしまうのだとしたら…。勇気ある世代交代、そして新しい風を積極的に取り入れていく姿勢こそが、今の日本には必要なのではないでしょうか。
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