連日ニュースで報じられる中東情勢において、イランはアメリカと激しい対立状態にあります。日本は同盟国であるアメリカの立場を支持し、時にはイランに対して厳しい声明を出すこともあります。
しかし、不思議なことにイランは日本に対して非常に友好的な態度を取り続けています。ペルシャ湾の緊張が高まった際にも、日本の船舶に対しては配慮を見せるなど、他国とは異なる対応をとることが少なくありません。
なぜ、イランはこれほどまでに親日的なのでしょうか。その答えは、現在の政治状況だけを見ていては分かりません。日本人が忘れかけている、両国の間に結ばれた深い歴史的な絆が存在するからです。
話題のワダイでは、歴史的な視点から、日本とイランが友好的な関係を築いてきた理由を紐解き、これからの日本が取るべき道を考察します。
なぜイランは親日的なのか?歴史的背景を探る

イランの人々が日本に対して抱く好意の源泉には、大きく分けて二つの要素があります。一つは文化的・精神的な共感、もう一つは歴史的な困難のなかで日本が示した具体的な行動です。
文化的側面として、両国はユーラシア大陸の東西の端に位置しながら、シルクロードを通じて古くから間接的な交流がありました。奈良の正倉院にはペルシャ風の美術品が収められており、遠い昔からつながりがあったことがうかがえます。

また、近代に入り、西洋列強の圧力に苦しめられたという共通の歴史的記憶も影響しています。アジアの島国である日本が近代化を成し遂げ、大国と渡り合った事実は、同じく誇り高き歴史を持つイランの人々にとって一つの希望として映りました。
しかし、イランの親日感情を決定づけたのは、単なるイメージではなく、20世紀半ばに起きたある歴史的な事件でした。
奇跡の救出劇「日章丸事件」〜イラン人が忘れない日本の勇気〜

日本とイランの関係を語る上で、絶対に避けて通れないのが1953年に起きた「日章丸事件」です。この出来事こそが、イランの人々の心に日本への深い感謝と信頼を刻み込みました。
当時、イランの巨大な石油利権はイギリスの企業によって独占されており、イラン国民は自国の資源から十分な利益を得られず貧困にあえいでいました。これに立ち上がったイラン政府は石油の国有化を宣言します。

激怒したイギリスは、海軍の軍艦を派遣してイランの港を封鎖し、世界中に「イランの石油を買った船は撃沈する」と警告しました。圧倒的な軍事力を前に、世界中の国々がイランからの石油輸入を断念し、イランは経済的に孤立無援の窮地に陥りました。
この絶望的な状況下で動いたのが、日本の出光興産の創業者である出光佐三です。
出光は、国際法を詳細に分析し、イギリスの主張には法的根拠がないと判断しました。そして、敗戦後の復興で苦しむ日本には安価な石油が必要であり、同時に不当な弾圧に苦しむイランを救わなければならないという信念のもとで決断を下します。

日本人として国際信義を無視するようなことをしてはいかん
そう、彼は自社のタンカー「日章丸」を極秘裏にイランへ派遣するという指示を出したのです。
日章丸はイギリス海軍の包囲網を命がけでくぐり抜け、見事にイランのアバダン港に入港しました。このニュースはイラン国内を熱狂させ、イランの人々は勇気ある日本の行動に涙して歓喜したと伝えられています。

その後、日章丸は石油を満載して再び包囲網を突破し、無事に日本へ帰還しました。イギリスは国際司法裁判所などで出光興産を訴えましたが、最終的に出光側が正当性を勝ち取りました。
この事件は、大国の理不尽な圧力に対して、一民間企業が命がけで正義を貫き、結果としてイランの国家的な危機を救った物語として、今でもイランの教科書や歴史の語り草となっています。
イラン・イラク戦争と日本の独自外交
日章丸事件以降も、日本は中東において独自のバランス外交を展開し、イランとの信頼関係を維持する努力を続けてきました。
その姿勢が顕著に表れたのが、1980年代のイラン・イラク戦争の時期です。当時、アメリカをはじめとする西側諸国の多くは、対立するイランを牽制する目的からイラクを支援する傾向にありました。

しかし日本は、安易にどちらか一方に与する道を選びませんでした。日本とイラクの関係も石油輸入の観点から非常に重要であり、良好な状態を保ちつつも、同時にイランとの対話の窓口も決して閉ざさなかったのです。
両国に特使を派遣し、粘り強く和平への働きかけを行った日本の姿勢は、欧米諸国とは一線を画すものでした。たとえ同盟国アメリカの意向があっても、中東の国々と独自の関係を築こうとする日本の外交姿勢は、イラン側にも「日本は対等に話ができる相手である」という認識を持たせることにつながりました。
政治や宗教を超えた文化交流〜シルクロードからの絆〜
政治や経済の枠組みを超えた、草の根レベルでの文化交流も友好的な関係を支える重要な柱です。
1980年代後半、イラン国内で日本のテレビドラマ「おしん」が放送され、最高視聴率が90パーセントを超えるという社会現象を巻き起こしました。
困難に耐え抜きながらも誠実に生きる主人公の姿が、長引く戦争や経済制裁に苦しんでいた当時のイランの人々の心に深く響いたのです。このドラマを通じて、多くのイラン人が日本人の勤勉さや精神性に共感し、親近感を抱くようになりました。

現在でも、日本の大学でペルシア語やイラン文化を学ぶ学生がおり、イランのテヘラン大学などでも日本語教育が熱心に行われています。アニメやテクノロジーへの関心も高く、遠く離れた異国でありながら、お互いの文化に対する敬意が確実に存在しています。
これからの日本がするべきこと〜独自の対話パイプを活かして〜
これまでの歴史を振り返ると、イランが日本に友好的な理由は、日本が過去に見せた「勇気と義理堅さ」そして「欧米とは異なる独自の対等な接し方」にあることがわかります。
現在、アメリカとイランの対立は深刻さを増しており、中東地域の安定は世界経済にとっても死活問題です。同盟国であるアメリカとの関係は当然最重要ですが、だからといってアメリカの政策に完全に追従し、イランとの関係を断ち切ることは、日本の国益にも世界の平和にもプラスにはなりません。
日本がするべきことは、長きにわたって築き上げてきたこの独自の対話パイプを最大限に活かすことです。

西側諸国の中で、イランの指導者層と直接、かつ友好的に胸襟を開いて対話ができる国は、日本をおいて他にはなかなかありません。日本は、アメリカの意向を伝える単なるメッセンジャーになるのではなく、イランの主張にも論理的に耳を傾け、両者の間を取り持つ粘り強い仲介者としての役割を果たすことが求められています。
日章丸が海を渡ったあの時のような、独自の判断に基づいた主体的な行動こそが、激動の時代において日本が国際社会から信頼を得るための鍵となるはずです。政治的な立場の違いを超えて、互いの歴史に敬意を払い対話を続けること。それこそが、先人たちが築いた絆を未来へ繋ぐ唯一の方法です。

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