【裏考察】ドズル社という「メディア企業」の解剖学――なぜ彼らはあえて”子供向け”に振り切るのか

ドズル マインクラフト
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本記事は、別記事で触れた「ドズル社の動画が子供っぽくなった」という視聴者の感覚的な違和感を、ビジネスおよび経営戦略の観点から分析した「裏記事」である。

多くの古参ファンが感じる「寂しさ」「物足りなさ」。 それを単なる「マンネリ」「劣化」として片付けるのは簡単だ。しかし、ドズル社という組織の特異性と、リーダーであるドズル氏の経営手腕を紐解いていくと、そこには極めて合理的で、冷徹なまでの計算が見えてくる。

彼らが行っているのは、YouTubeという不安定なプラットフォームにおいて、いかにして「持続可能な企業」であり続けるかという、SDGs的な壮大な社会実験なのかもしれない。

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「ドズル」という経営者のリアリズム

KPI

まず前提として理解すべきは、リーダーであるドズル氏の資質である。 元医大生というバックグラウンドに加え、彼の過去の発言や行動からは、徹底した「論理的思考(ロジカルシンキング)」と「数字(KPI)へのこだわり」が見て取れる。

彼はYouTubeを自己表現のアートの場としてではなく、明確に「ビジネスのフィールド」として定義している節がある。「自分が面白いと思うこと」よりも「市場が求めていること」を優先し、データに基づいてコンテンツを最適化できる、クリエイターとしては稀有なタイプの経営者だ。

つまり、現在の「低年齢層にも分かりやすい動画スタイル」が続いているということは、それが「なんとなく」ではなく、「データ上、最も成果が出ているから」という事実に他ならない。

「分かりやすさ」という高度な技術

多くの視聴者は誤解しているが、「子供向けの分かりやすい動画」を作ることは、「大人向けの凝った動画」を作るよりも遥かに難易度が高い。

  • 複雑なゲームルールを、予備知識ゼロの視聴者に数秒で理解させる構成力
  • 飽きさせないためのテンポの速いカット割り
  • 視覚的な情報を補完する的確なテロップワーク

これらは、演者の個性に依存した「内輪ノリ」の動画とは対極にある、「コンテンツのユニバーサルデザイン化」とも呼ぶべき作業だ。

工業製品

これを個人の感性ではなく、チーム全体として量産体制に乗せている点にドズル社の組織的な強みがある。彼らは動画を「作品」としてではなく、「一定の品質基準を満たした工業製品」のように高いレベルで安定供給するシステムを構築しているのだ。

「親」という最強のスポンサー

ターゲット層を低年齢層に固定し、過激な表現を排除することには、再生数以上のビジネスメリットがある。それは「保護者(親)の信頼」だ。

YouTubeには過激な言葉遣いや暴力的な表現を含むコンテンツがあふれている。その中で、ドズル社の動画にある「安全性(ブランドセーフティ)」は際立っている。

親も安心

「ドズル社なら子供に見せても安心」「リビングで流しておける」という信頼は、企業にとって強力な武器となる。

これにより、彼らは子供向けのグッズ販売、親子連れで参加できるリアルイベント、大手企業とのタイアップ案件など、広告収益(AdSense)に依存しない多角的な収益源を確保することができる。

マニアックなゲーム実況者が陥りがちな「再生数はあるが収益化しにくい」というジレンマを、彼らは見事に回避しているのである。

HIKAKINモデルの組織化への挑戦

YouTuber界のトップランナーであるHIKAKIN氏は、10年以上「子供たちのカリスマ」であり続けている。これは彼が常に「今の子供たち」に合わせて自身の芸風をアップデートし続けてきた結果だ。

ヒカキン

ドズル社が目指しているのは、この「HIKAKINメソッド」の組織的な実践であると推測される。 特定の個人のカリスマ性や寿命に依存するのではなく、グループ全体として常に「新規層が入ってきやすい空気感」を醸成し続けること。

視聴者が成長して卒業していくことを織り込み済みとし、常に新しい世代を循環させる(ターンオーバーさせる)ことで、組織の新陳代謝を図る。これは、ファンと共に高齢化し、静かに衰退していく多くのエンタメグループへのアンチテーゼとも言える生存戦略だ。

結論:感情論の先にある「正解」

昔の方が面白かった

「昔の方が面白かった」と嘆く古参ファンの感情は理解できる。しかし、ビジネスの視点から見れば、ドズル社の選択はあまりにも正しい。

特定のファン層に迎合せず、常に市場のパイが最も大きい「新規・若年層」に向けて最適化し続けること。

視聴者が感じる「変わってしまった」という違和感の正体は、ドズル社が「YouTuberグループ」から、永続的な繁栄を目的とした「メディア企業」へと脱皮しようとしている、その成長痛なのかもしれない。

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