一時代を築いたのに自らを『全消し』してしまったコンパイルという会社

ぷよぷよ ゲーム・アプリ関係
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「ぷよぷよ」といえば、今やセガを代表するパズルゲームですが、かつてこの国民的ゲームを生み出し、そして自らの手で会社そのものを「全消し」してしまった企業が存在しました。

その会社の名は「コンパイル」

1990年代、広島を拠点に年商70億円を叩き出し、ゲーム業界の風雲児と呼ばれたこの会社は、なぜ絶頂期からわずか数年で崩壊してしまったのでしょうか。今回は、その栄光と転落、そして今なお続く遺伝子の物語を紐解きます。

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広島から生まれた「ぷよぷよ」の熱狂

コンパイル

コンパイルの創業は1982年。創業者の仁井谷正充氏は、広島大学を中退後、いくつかの職を経て独学でプログラミングを習得し、会社を立ち上げました。

当初はセガの下請けや、シューティングゲーム『ザナック』『アレスタ』などで評価を得る知る人ぞ知るメーカーでしたが、運命を変えたのは1991年のことでした。

当時の開発スタッフであった米光和成氏らの手により、同社のRPG『魔導物語』のキャラクターを用いた落ち物パズルゲーム『ぷよぷよ』が誕生します。当初は売上が振るわなかったものの、対戦要素を強化したアーケード版や家庭用ゲーム機への移植によって爆発的なヒットを記録。

魔導物語

連鎖の爽快感と親しみやすいキャラクターは、普段ゲームをしない層までをも巻き込み、社会現象となりました。

「ディズニーを超える」という夢と暴走

『ぷよぷよ通』の大ヒットもあり、1997年には年商70億円を計上。広島のベンチャー企業は、一躍業界のスターダムにのし上がりました。しかし、この成功が経営の歯車を狂わせ始めます。

仁井谷社長が掲げた夢は壮大でした。「ディズニーを超える」という目標のもと、千葉県に「ぷよぷよランド」というテーマパークを建設する構想を打ち出したのです。

ぷよぷよランド

その実現と株式上場に向け、コンパイルは本業のゲーム開発以外にも手を広げていきました。

  • 広島銘菓を模した「ぷよまん」の自社工場建設
  • オートバイチームの結成
  • ビジネスソフト分野への参入
  • 過剰なテレビCMやイベント展開

手元にある資金だけでなく、銀行からの多額の借入金を投じて拡大路線を突き進みます。しかし、本業では『ぷよぷよSUN』以降の売上が想定を下回るなど、陰りが見え始めていました。

1998年、経営破綻という「全消し」

全消し

終わりの時は唐突に訪れました。

1997年11月、山一證券の自主廃業など金融業界が大混乱に陥り、銀行による「貸し剥がし」が横行。多額の借入に依存していたコンパイルは、一気に資金ショートの危機に直面します。

仁井谷社長はセガに対し、『ぷよぷよ』の権利(商標権など)を譲渡することで10億円の支援を引き出しました。しかし、その資金も焼け石に水。従業員のボーナスなどで瞬く間に消えてしまい、経営を立て直すことはできませんでした。

そして1998年3月、コンパイルは和議申請を行い、事実上の倒産。負債総額は約75億円。

積み上げた「ぷよ」が天井まで達し、ゲームオーバーとなるように、あまりにも急激な拡大戦略は、会社そのものを消滅させる結果となってしまったのです。

コンパイルの遺伝子は生き続ける

会社としてのコンパイルはなくなりましたが、その遺伝子は完全に消えたわけではありません。

『ぷよぷよ』というIPはセガに引き継がれ、eスポーツの種目となるなど、今なお愛され続けています。

また、旧コンパイルの版権管理を行っていたD4エンタープライズや、アイディアファクトリーの子会社として設立された「コンパイルハート」など、その精神を受け継ぐ企業も存在します。

近年では『魔導物語』の正統続編が発表され、かつての開発メンバーが再集結するなど、往年のファンを熱くさせる動きも見られます。

一時代を築き、自らの野望とともに散ったコンパイル。しかし、彼らが生み出した「連鎖」の熱狂は、会社がなくなった今も、形を変えて次の世代へと繋がっているのです。

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