2026年2月6日、キリンホールディングスがバーボンウイスキー「フォアローゼズ(Four Roses)」ブランドの売却を正式発表しました。
売却先は米ワイン最大手のE. & J. ガロ・ワイナリー、売却額は約1200億円(8億ドル超)と報じられています。
なぜこのタイミングで手放すのか? 売却の理由は、ヘルスサイエンス事業への集中投資という明確な経営戦略に基づくものです。経済ニュースとして見れば、見事な出口戦略と言えるでしょう。
しかし、このニュースを見て胸に去来したのは、売却理由や株価のことだけではありません。かつて通った薄暗いバーのカウンターと、そこで琥珀色に輝いていた「黄色いラベル」の記憶でした。
今回は、一抹の寂しさと共に、日本企業キリンがアメリカの魂(スピリッツ)を救い、育て上げた24年間の歴史と功績、そして今後どうなるのかについて振り返ります。
安くて美味い、青春の「イエロー」

バブルの狂騒が遠のき、世の中が少し落ち着きを取り戻し始めた90年代から00年代初頭。当時、青春の只中にいた私たちにとって、フォアローゼズ、特にあのスタンダードな「イエローラベル」は単なる酒以上の存在でした。
まだ若手社員だった私たちが、なけなしの小遣いを握りしめて入ったショットバー。高いスコッチには手が出ないけれど、少し背伸びをして「バーボンで」と頼む時、そこにはいつもフォアローゼズがありました。
華やかな香りと、少しオイリーで甘い口当たり。ロックで氷が溶けるのを待ちながら、あるいはソーダ割りで喉を潤しながら、将来の不安や恋の悩みを語り合った夜。その傍らには、いつもあの4輪のバラが咲いていたように思います。
かつては「不遇の酒」だった歴史
実は、キリンが2002年に買収するまで、本国アメリカにおいてフォアローゼズは「不遇の時代」を過ごしていました。
当時の親会社シーグラムの戦略により、アメリカ国内では安価なブレンドウィスキーとしての役割を強いられ、酒屋の棚の下段で埃を被るような扱いを受けていたのです。高品質な原酒は、もっぱら日本や欧州向けの輸出用。

「日本人は美味いというが、アメリカ人にとっては安酒だ」
そんな評価をされていた時代がありました。しかし、キリン・シーグラム(当時)を通じてその本当の価値を知っていたキリンは、シーグラム解体の混乱の中で、迷わずこのブランドを買い取りました。
それは、長年連れ添ったパートナーへの愛着と、「この酒はもっと評価されるべきだ」という日本の職人としての矜持だったのかもしれません。
日本企業が再生させた「アメリカの魂」

キリンがオーナーとなって行った改革は、徹底していました。 目先の利益を捨ててアメリカ市場での安価なブレンド製品を全廃し、日本向けと同じ「高品質なストレートバーボン」のみを販売する戦略へ転換したのです。
一時的に売上は落ち込みましたが、この「品質本位」の姿勢は、やがて本場ケンタッキーのドリンカーたちを唸らせることになります。「フォアローゼズって、こんなに美味かったのか?」と。
日本企業が、アメリカの伝統あるバーボンを救い、磨き上げ、本来あるべきプレミアムな地位へと押し戻した。
今回の「1200億円」という巨額の売却額は、キリンが24年間かけて注いだ愛情と、味と品質へのこだわりの対価であり、日本企業のマネジメントが世界で通用したことの証明でもあります。
売却でフォアローゼズはどうなる?味は変わる?

売却によって一番気になるのは、「今後どうなるのか」「味が変わるのではないか」という点でしょう。
これに関しては、過度な心配は不要かもしれません。キリンの手によって確固たる地位を築いた今のフォアローゼズなら、新しい親であるガロ・ワイナリーの下でも、その誇り高い味とブランド価値は守られるはずです。
ガロ社にとっても、高値で購入したブランドの価値を毀損させる理由はどこにもないからです。

育ての親から、次の親へ。キリンの手を離れることへの一抹の不安と寂しさはあります。しかし、落ちぶれかけていたブランドを拾い上げ、過去最高の輝きを放つ状態にまで磨き上げて送り出すのですから、これは「身売り」というよりも、最高の「卒業制作」と言うべきでしょう。
今夜は久しぶりに、ボトルを買って帰ろうと思います。 ストレートで少しずつ舐めるように飲みながら、あの頃のほろ苦い思い出と、キリンが成し遂げた偉業に乾杯するために。

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