今年度、秋田県内ではツキノワグマの出没が激増し、事態は深刻化の一途をたどっています。11月3日時点で3名が命を落とすという異常事態を受け、県は自衛隊の派遣を要請するまでに至りました。
しかし、この未曾有の危機に対し、行政は「クマの駆除に反対する過激なクレーム」という、もう一つの深刻な問題にも直面しています。
現地住民が日々の生活に恐怖を感じる一方で、安全な地域から寄せられる抗議の電話が、対策の現場を混乱させています。人命を守るための現実的な対応と、動物愛護の理想。今、私たちは何を最優先し、誰の声を尊重すべきなのでしょうか。
「コロナ禍より深刻」— 恐怖におびえる住民の日常

正直言って、コロナ禍の時よりも深刻な問題かもしれない
秋田県羽後町に住むA氏から寄せられた、現地の切実な声です。かつては山間部の話だったクマの出没が、今や住宅が多いエリアにまで及んでいます。

小中学生の送迎が車で推奨され、
「シャッターを開けたらクマがいた」
「農作業中に襲われた」
といったニュースが日常的に報じられる中、住民は「いつクマに出くわすか、気が気でなりません」と語ります。
この恐怖は、日常生活の自粛にもつながっています。クマを恐れて日課のウォーキングや外出を控える人が増え、医師からは健康被害を懸念する声も上がっています。
秋田市在住のD氏は、

近所で何度も目撃されているため、怖くて仕方ない。子どもたちを外で遊ばせることもできず、家の中で遊ばせている
と、子育て世帯の不安を吐露します。
40年以上住んでいて経験したことのない前代未聞の事態に、地域住民は疲弊し、どうすればいいのかわからないというのが本音です。
対策を妨害する「クレーム」という二次被害
住民がこれほどの不安を抱える一方で、行政関係者を悩ませているのが、一部の動物愛護団体や個人による抗議活動です。
役所には「クマを殺すのは何事か!」といったクレームの電話が相次ぎ、業務に支障が出ています。某市の役所に勤務するE氏によると、クマとは全く関係のない部署にまで手当たり次第に電話がかかってくるケースもあると言います。

延々と10分も早口で口を挟むこともできないような抗議電話が続き、疲弊している職員が多いのが実情です。
こうした状況に、住民のD氏は

クマ対策を妨害している人間のほうが遥かに恐ろしい
どうせなら、外部の安全圏から文句を言うのではなく、秋田県に住んでみてはどうか。口だけの連中が、クマと共存などできるわけがありません
と強い不満を口にします。この言葉は、日々の恐怖と直面しながら暮らす地域住民の偽らざる心境でしょう。
「かわいそう」という声への違和感— 政治家からの視点
こうした「クレーム」の風潮に対し、自民党の鈴木宗男参院議員も自身のブログで私見を述べています。
北海道出身の鈴木氏は、本州のツキノワグマがこれほど被害を出していることに驚きを示しつつ、

『自然との共生』と口では言いながら、適切な駆除、淘汰をしてこなかったことが今となっては大きなツケとなっている気がしてならない
と、これまでの対策のあり方に疑問を呈しました。
特に「(クマが)可哀想だ」という声に対しては、

ならば人の命についてどう考えるのか
クマの生態もよく知らないような人が、ただ思い付きで『可哀想』ということに、何か違和感を感じた
と、人命軽視ともとれる風潮に強い懸念を示しています。
鈴木氏は、被害が多発して野生のクマの怖さ、恐ろしさを肌で感じてから受け止めも変わってきているという世論の変化にも触れ、

世の中、やはり我が身に置き換えて冷静に考えることが必要なことが伝わってくる
と結んでいます。
「捕殺一辺倒では限界」— 日本熊森協会の主張

もちろん、クマの保護を訴える人々にも言い分はあります。自然保護団体「日本熊森協会」は11月6日、環境大臣宛に「緊急要請」を提出しました。
彼らは「捕殺一辺倒の対策には限界がある」として、被害防除(出没防止、緩衝帯整備、追い払い)や、メガソーラー建設などによる森林伐採を見直す「森の再生」といった、長期的取り組みへの予算投入を求めています。
室谷悠子会長は、

いくら捕殺し続けても、絶滅寸前まで捕殺しないといけなくなる。長い目でみれば、動物の来ない集落をつくるほうが効果が上がる
と、捕殺よりも環境整備が重要だと訴えます。また、同協会はSNS上で見られる「『クマを殺すな』などのクレームを入れている」という指摘については、「事実無根」であると強く否定しています。
「駆除」と「保護」は別問題— 住民の命を最優先に
クマの生息環境を守る長期的な視点は、将来的な共存のために不可欠です。しかし、それは「今、目の前にある危機」と天秤にかけるべきものでしょうか。
今、秋田で起きているのは、人里にまでクマが侵入し、人間の生活圏と完全に重複してしまったという現実です。この状況下で最も尊重されるべきは、その脅威の最前線にいる「地域住民の意見」と「人命の安全」であるはずです。

秋田県議会議員の宇佐見康人氏が訴えるように、人里に出て来てしまった個体に関しては残念ながら駆除するしかありません。これは、クマという種全体を敵視するのではなく、人間の生活を脅かす個体に限定した、やむを得ない「防衛」措置です。
私たちは、この問題を「駆除」と「保護」という二つの異なるフェーズで考える必要があります。
🐻 短期的な安全確保(駆除)
民家近くに出没し、住民に危害を加える可能性のある個体については、地域住民の安全を最優先し、迅速かつ確実に駆除する。これは「対策」であり、躊躇すべきではありません。
🐻 長期的な環境整備(保護・棲み分け)
日本熊森協会が提言するように、クマが人里に下りてこないための環境整備(奥山の保全、緩衝帯の整備、ゴミ管理の徹底など)を、国や自治体が責任を持って推進する。これは未来への「投資」であり「保護」です。
この二つは、決して矛盾するものではなく、両輪で進めるべきものです。安全な場所から発せられる感情的な「声」が、現場の現実的な判断を鈍らせ、住民をさらなる危険に晒すことがあってはなりません。
クマと人間の共存を本当に目指すのであれば、まずは現地の人々が安心して暮らせる日常を取り戻すこと。その上で、長期的な棲み分けの道を模索すべきではないでしょうか。



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