ジャーナリストの田原総一朗氏(91)が、高市早苗首相に対して放った
「あんな奴は死んでしまえと言えばいい」
という問題発言が、大きな波紋を広げています。御年91歳という年齢もあり、SNSでは「BPO案件ではないか」という厳しい批判に加え、「もうボケ老人なのでは」といった、その資質や健康状態を問う声まで相次いでいます。
今回の発言は氷山の一角であり、近年、田原氏の言動には不安定さが指摘される場面が少なくありません。話題のワダイでは、田原氏の経歴や政治的スタンスを振り返りつつ、最近の問題発言を検証し、功績の大きい人物だからこその「引き際」について考えていきたいと思います。
スタジオを騒然とさせた「死んでしまえ」発言

問題の発言は、2025年10月19日放送の『激論!クロスファイア』(BS朝日)で飛び出しました。番組では、高市早苗新首相の政策や姿勢について議論が交わされていました。
社民党の福島瑞穂氏が、高市氏の選択的夫婦別姓への反対姿勢などを批判した流れで、田原氏は突然、野党の取るべきスタンスとして次のように提言しました。

【高市総裁の事を】あんな奴は死んでしまえと言えばいい
この言葉に、共演者である辻元清美氏や福島瑞穂氏は即座に制止。

田原さん、そんな発言して高市さんと揉めてたでしょ、前も
とたしなめるなど、スタジオは騒然となりました。そしてあわててCMに入りました。
冗談のつもりだったのかもしれませんが、公共の電波で、ましてや一国の首相に対して「死んでしまえ」という言葉を使うことは、ジャーナリストとして到底許されるものではありません。
田原総一朗氏の経歴と政治的スタンス

ここで、田原氏の経歴を振り返ってみましょう。1934年、滋賀県彦根市に生まれた田原氏。出身高校は、地元の名門である滋賀県立彦根東高等学校です。
実は私の母校でもあり、高校生の時はすごい人が先輩なんだな~と少し自慢できる感じだったのですが、最近では恥ずかしくて知られたくないほうが強いです。
高校卒業後早稲田大学に進学し、在学中には学生運動にも参加。この経歴から、田原氏を「左派」のジャーナリストだと見る向きは少なくありません。

大学卒業後は岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリージャーナリストに転身。1987年にスタートした『朝まで生テレビ!』や『サンデープロジェクト』では、タブーに切り込む司会者として名を馳せました。
当時の彼のスタイルは、特定の政治思想に偏るというより、むしろ左右両派の論客をリングに上げて徹底的に議論させるというもので、日本のテレビ討論に新たな地平を切り開きました。
近年目立つ不安定な言動と「老害」批判

輝かしい経歴を持つ田原氏ですが、近年は年齢からくるものなのか、言動の不安定さが目立ちます。
今回の「死んでしまえ」発言があった放送でも、まだ行われていない国政選挙を「野党が負けた」という前提で議論を進めようとするなど、冷静な司会進行とは言い難い場面が見られました。

また、過去の『朝まで生テレビ!』では、国民民主党の玉木代表の発言を「うるさい! 黙れ!」と感情的に遮り、物議を醸したこともあります。
こうした言動に対し、視聴者からは
「議論を深めるどころか妨害している」
「老害そのもの」
といった厳しい批判が絶えません。個人的な感情や思い込みで議論を歪めてしまう場面は、かつての鋭いジャーナリストの姿とはかけ離れていると言わざるを得ません。
功績は大きいからこそ、引き際が肝心では

田原総一朗氏が、長年にわたり日本のジャーナリズムに多大な功績を残してきたことは誰もが認めるところです。彼の権力に臆せず切り込む姿勢は、多くの視聴者に支持されてきました。
しかし、その影響力の大きさゆえに、「言ってはいけないこと」のラインを越えたときの影響もまた甚大です。今回の高市早苗氏への「死んでしまえ」発言は、ジャーナリストとしての信頼を著しく損なう問題発言でした。
朝生の前に若い2人と意見交換してエネルギーもらいました。 https://t.co/E2SkvSVjIZ
— 田原総一朗 (@namatahara) March 24, 2023
人は誰しも、年齢とともに変化します。長年の功績に敬意を払うからこそ、ご自身の輝かしいキャリアを、近年の不適切な言動で汚してしまうのは、非常にもったいないことです。
血気盛んであることは素晴らしいですが、ご自身の言葉が持つ重みを再認識し、後進に道を譲るという選択肢を、そろそろお考えいただく時期に来ているのかもしれません。
コメント