「負け組の星」ハルウララ、天国へ。連敗の先に掴んだ、愛と希望の物語

ハルウララ 一般
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かつて、その”弱さ”で日本中に希望と笑顔を届けた一頭の馬がいました。高知競馬で113連敗という記録を打ち立て、「負け組の星」として国民的アイドルとなったハルウララです。

多くのファンに愛され、千葉県の牧場で穏やかな余生を送っていた彼女が、9月9日未明、29歳(人間でいえば90歳近く!)で静かに天国へと旅立ちました。

話題のワダイでは、彼女がなぜ多くの人々をひきつけたのか、その異例ずくめの競走馬人生と愛すべきエピソードを振り返り、心からの追悼の意を表したいと思います。

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負け続けた「負け組の星」- 驚異の戦績と社会現象

ハルウララの競走馬としての戦績は、まさに前代未聞でした。1998年のデビュー以来、一度も1着になることなく連敗を重ね、その数は113にも及びました。

通常であれば、これほどの成績ではすぐに引退となるのが競走馬の世界です。しかし、何度負けてもひたむきに走り続ける彼女の姿が、当時の「リストラ時代」という世相と重なり、多くの人々の共感を呼びました。

交通安全のお守りになった馬券

交通安全のお守り

ハルウララが生んだユニークなエピソードの一つに、単勝馬券「交通安全のお守り」として大ヒットしたことが挙げられます。

「1着になることがない」=「(車に)当たらない」という語呂合わせから、彼女の馬券はレースの勝ち負けを超えた価値を持つようになり、競馬ファンならずとも多くの人が買い求めました。

日本中が熱狂した日 – 武豊騎手との挑戦

武豊騎手

ハルウララフィーバーの頂点は、2004年3月。当代きっての名手・武豊騎手が騎乗することになったレースです。

当日の高知競馬場には1万3000人ものファンが詰めかけ、入場制限が行われるほどのパニックとなりました。日本中の期待を一身に背負って出走しましたが、結果は11頭中10着。それでも、最後まで懸命に走る姿は、多くの人々の胸を打ちました。

穏やかな引退後と世界的な人気者へ

マーサファーム

引退後、いくつかの牧場を転々とした後、ハルウララは千葉県御宿町の引退馬預託施設『マーサファーム』に安住の地を見つけます。

代表の宮原優子さんが設立した会費制の『春うららの会』のサポートを受け、穏やかで幸せな日々を送っていました。

ゲーム『ウマ娘』で人気が再燃

ウマ娘

そんな彼女に予期せぬ転機が訪れます。大人気ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のキャラクターに選ばれたのです。

作中では、負け続けてもけっして諦めない、明るく健気なキャラクターとして描かれ、再び人気が沸騰。若い世代のファンが牧場に足を運ぶようになりました。

さらに、ゲームの英語版がリリースされると、その人気は世界へ。アメリカ、フィリピン、ポーランドなど、海外からも多くのファンが彼女に会いに来るようになったのです。

突然の別れと最後の「わがまま」

ハルウララ

亡くなるわずか2週間前まで、牧場を元気に走り回り、砂遊びに興じる姿が見せられていたハルウララ。死因は、馬にとって危険な病気である『疝痛(せんつう)』でした。

8日の朝に体調の異変が見られ、スタッフが夜通しで懸命な看病を続けましたが、明け方に容態が急変。静かに息を引き取ったといいます。

宮原さん
宮原さん

最後までわがままを通してましたよ。疝痛の時は腸を動かさなきゃいけないので、昨日も歩かせようとしたのですが、ウララは『イヤだ。私、歩きたくない』って止まっちゃって。でも、わがままなウララだからこそ、たくさんの楽しい思い出があります。ウララには本当に感謝の気持ちでいっぱいです

最後まで自分らしさを貫いたハルウララ。その生涯は、勝ち負けだけが全てではないこと、そして、ひたむきに生きる姿がどれだけ多くの人に勇気を与えるかを教えてくれました。

たくさんの夢と希望をありがとう。安らかに、ハルウララ。

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