兵庫県姫路市。駅から遠く離れたロードサイドに、かつて日本中から巡礼者が訪れた「聖地」がありました。
遊楽舎です。
2026年2月14日、バレンタインデー。世間が浮き足立つこの日に発表されたのは、愛の告白ではなく、全店舗閉店というあまりにあっけない幕引きの知らせでした。
これは単なる地方のカードショップの倒産劇ではありません。YouTubeという巨大な奔流に乗り、身の丈以上の夢を見せられ、そして最後はその奔流がもたらした「正論」という濁流に飲み込まれた、ひとりの男の物語です。
今回は、現代エンターテインメントの光と影を一身に浴びた遊楽舎の興亡史を振り返りながら、私たちが画面越しに消費していたものの正体について考えてみたいと思います。
第1章:地方のゲーセン親父が「国民的おもちゃ」になるまで
姫路の片隅で起きた奇跡

時計の針を2016年に戻してみましょう。当時の遊楽舎は、どこにでもある、いや、むしろ立地条件としてはかなり厳しい部類の郊外型ゲームセンター兼カードショップでした。
経営は綱渡り状態。本来なら、地域の子供たちが小銭を握りしめて集まるだけの場所で終わるはずでした。そこに現れたのが、まだ金髪起業家として売り出し中だったヒカルさんです。
「店長」というキャラクターの爆誕

エラーの出るゲーム機、軽妙な関西弁、そしてカメラの前でも物怖じしない度胸。ヒカルさんという稀代の演出家によって、森田雅人というひとりの人間は、「店長」という愛すべきキャラクターへと昇華されました。
これこそが、遊楽舎の最初の皮肉です。 彼らが売っていたのはカードでもゲームでもありません。「店長とヒカルの掛け合い」という人間ドラマだったのです。私たちはそれに熱狂し、店長は一躍、YouTuber界隈の準レギュラー、「聖地の守り人」となりました。
第2章:虚構の経済圏と「1000万円の赤字」
聖地巡礼という名の集金システム

YouTubeの再生数が伸びるにつれ、お店には全国からファンが押し寄せました。写真を撮り、ガチャを回し、少し高いオリパを買う。それは商品の対価というより、動画を楽しませてくれたことへの「お布施」に近かったのかもしれません。
この信用経済バブルの中で、店長は勘違いをしてしまったのでしょうか。「自分には経営手腕がある」と。あるいは、周囲がそう勘違いさせたのかもしれません。秋葉原への進出、そして撤退。コロナ禍という不運もありましたが、歯車は少しずつ狂い始めていました。
ポケカバブルの崩壊と経営のリアル

2023年以降のTCG市場の冷え込みは凄まじいものでした。投機対象として高騰したカードが暴落し、積み上がった在庫はただの紙切れ同然となってしまったのです。
「1000万円の赤字」。動画の中で笑い話のように語られていた数字は、現実の帳簿に重くのしかかっていました。YouTuberとしての「店長」は人気者でも、経営者としての「森田氏」は崖っぷちに立たされていたのです。
第3章:トドメを刺したのはトモハッピー氏の「正論」だった
救いの手が凶器に変わる瞬間

経営難にあえぐ店長が頼ったクラウドファンディング。それに対する批判的な視線。そして、決定打となったのが、『令和の虎』出演者としても知られるトモハッピーらによる「公開コンサル」動画でした。
「経営者としてはゴミクズ」 「沈む船」 「立地依存ビジネスをするな」
トモハッピー氏らが放った言葉は、経営論として見れば100点満点の正論でしょう。しかし、エンターテインメントの文脈で消費される「正論」は、時として鋭利な刃物となります。
画面の向こうの人間が見えなくなる時
この動画が公開された直後、ネット上は「無能な経営者」「自業自得」という冷笑であふれかえりました。かつて店長の軽妙なトークを愛していたはずの人々が、今度は彼がサンドバッグにされる様子を娯楽として消費し始めたのです。
SNSが育てた「店長」という虚像が大きくなりすぎた結果、生身の人間である森田氏の精神は限界を迎えました。自殺を示唆する投稿、警察の出動。 皮肉なことに、彼を追い詰めたのは、彼を有名にした「動画」というメディアそのものだったのです。
2月16日、実業家・トモハッピー氏は、YouTubeでカードショップ「遊楽舎」の店長を泥酔状態で批判した問題で、自身のSNSを通じて謝罪しました。
動画を非公開にし、店長に直接謝罪するため姫路へ向かうと連絡しましたが、店長側はこれを拒否。店長は「これまでの経緯から謝罪を受け入れられず、感情を抑える自信がない」として対面を断ったことを明かしており、騒動後の直接的な和解には至っていない状況です。
第4章:ヒカルが駆けつけた時、もう店は死んでいた
間に合わなかったヒーロー
騒動を受け、ヒカルさんはすぐにお店へ向かいました。しかし、そこで彼が見たのは、かつての名相棒ではなく、憔悴しきった中年男性の姿でした。
店長は言いました。「お金の関係になったら、ヒカルさんとの関係が壊れてしまうのが怖かった」と。 この言葉にこそ、この悲劇のすべてが詰まっています。
彼はビジネスパートナーである以上に、ヒカルさんの「友人」でありたかったのです。しかし、ビジネスの論理(数字)とYouTubeの論理(再生数)は、そんな牧歌的な感情を許しませんでした。
溝口氏の「他責思考」批判が映し出す現代

閉店発表後、実業家の溝口氏は「すべて自分のせいだろ」と一喝しました。これもまた、経営論としては正論です。しかし、精神的に崩壊している人間に投げつける言葉として、果たして適切だったのでしょうか。
現代社会、特にSNS上では「強者の論理」が称賛され、「弱者の事情」は切り捨てられます。遊楽舎の最期は、この残酷なまでの効率主義と自己責任論の勝利を象徴しているようにも見えます。
結論:祭りのあと、私たちが失ったもの

遊楽舎は2月末で消滅します。 CFの返金対応や在庫処分など、生々しい事後処理だけを残して。
この興亡史から私たちが学ぶべき教訓は何でしょうか。「身の丈に合わない夢を見るな」ということでしょうか? 「インフルエンサービジネスは水物だ」ということでしょうか?
おそらく、もっと単純で、もっと痛烈な事実です。
「画面の中のキャラクターにも、痛みを感じる心臓がある」
私たちは、店長が笑顔で「いらっしゃい」と言うのを当たり前だと思っていました。しかし、その笑顔の裏には、相場の変動に怯え、資金繰りに奔走し、そして心無い言葉に傷つく、ひとりの弱い人間がいただけだったのです。
YouTubeが生んだ「聖地」は、YouTube的な「正論」によって焼かれました。 その焼け跡に残ったのは、かつて私たちが愛した「面白おかしいおじさん」の、あまりに人間臭い悲哀だけです。

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