台湾の歴史と「2つの中国」:複雑なアイデンティティを紐解く

海外ニュース
スポンサーリンク

2025年11月、日本の高市早苗首相による「台湾周辺での武力行使は日本の存立危機事態になり得る」という主旨の発言が、中国政府の強い反発を招きました。

中国側は「台湾問題は内政干渉である」として激しく非難し、台湾海峡を巡る緊張感は、単なる外交辞令を超えた現実的なリスクとして改めて日本社会に突きつけられています。

なぜ、台湾はこれほどまでに中国から「不可分の一部」と固執され、一方で独自の政治体制を維持しているのでしょうか?

その答えは、列強、清朝、日本、そして国民党と、支配者が次々と入れ替わってきた台湾の「流転の歴史」の中にあります。話題のワダイでは台湾の流転の歴史をわかりやすく解説をしていきます。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

支配者が交錯する島(17世紀〜19世紀)

化外の地

台湾の歴史において重要な点は、17世紀まで「統一的な統治権力」が存在しなかったことです。元々はマレー・ポリネシア系の原住民族が暮らす島であり、中国(当時の明)の統治が及ばない「化外の地」とされていました。

オランダ統治と鄭成功

オランダ統治

1624年、大航海時代の波に乗り、オランダが台湾南部に拠点を築き、初めて組織的な統治を行いました。(北部は一時スペインが支配)

その後、明朝の復興を目指す鄭成功(母は日本人)がオランダを駆逐し、台湾を拠点化します。

清朝の統治(約200年間)

清朝の統治

1683年、中国大陸を支配した清朝が鄭氏政権を倒し、台湾を版図に収めました。しかし、清朝にとって台湾は「辺境の島」であり、積極的な開発よりも、反乱を防ぐための消極的な統治が長く続きました。

日本統治時代:近代化と皇民化(1895年〜1945年)

下関条約

日清戦争の講和条約(下関条約)により、台湾は清から日本へ割譲されます。ここからの50年間、台湾は日本の統治下に置かれました。

「近代化」という遺産

日本は台湾を「模範的な植民地」とすることを目指し、徹底したインフラ整備に着手しました。縦貫鉄道の敷設や上下水道の完備、さらにはダム建設による電力供給網の確立など、物理的な基盤が急速に整えられました。

また、ハード面だけでなく、社会的な側面でも改革が進められました。学校教育の普及によって識字率は向上し、衛生環境の改善により長年の課題であった風土病も撲滅されました。

近代化

農業分野においても品種改良が進み、生産力は飛躍的に向上したのです。

これらの多角的な施策によって、台湾は急速な近代化を遂げました。当時、日本の教育を受けた人々は「多桑(トーサン)」世代と呼ばれ、彼らこそが戦後の台湾経済の発展を基礎から支える重要な担い手となったのです。

「皇民化」と差別

皇民化政策

一方で、日本統治は植民地支配であり、台湾人に対する差別や、後期の「皇民化政策(日本語の使用強要や改姓)」といった負の側面もありました。

しかし、後述する国民党政府の統治があまりに過酷だったため、相対的に「日本のほうが法治国家として機能していた」と評価する声が生まれ、現在の親日感情の一因となっています。

「犬が去って豚が来た」:中華民国の到来と悲劇(1945年〜)

犬が去って豚が来た

1945年、日本の敗戦により台湾の統治権は放棄され、当時中国大陸を支配していた中華民国(国民党・蒋介石政権)が台湾を接収しました。

失望と混乱

当時、日本による統治で近代化していた台湾の人々は、当初は「祖国復帰」を歓迎しました。しかし、大陸からやってきた国民党の兵士や役人は規律が乱れており、汚職や略奪が横行しました。

台湾人
台湾人

犬(日本)はうるさいが番犬にはなる。しかし、豚(国民党)はただ食い散らかすだけだ

台湾の人々はこのように失望を露わにし、当時の状況を「犬が去って豚が来た」と揶揄しました。

二・二八事件(1947年)

二・二八事件

1947年2月28日、闇タバコ摘発をきっかけに市民の不満が爆発し、抗議デモが発生しました。これに対し国民党政府は本土から軍隊を呼び寄せ、武力で徹底的に弾圧を行いました。

これにより、数万人の台湾市民、特に医師や弁護士、教師などの知識階級が虐殺されました。これが「二・二八事件」です。

その後、世界最長とも言われる38年間の戒厳令が敷かれ、国民党による独裁体制(白色テロ)が続きました。

「2つの中国」の固定化と民主化

1949年、中国大陸での国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党は、政府機能を台湾に移転します。これにより、以下の構図が固定化しました。

  • 大陸: 中国共産党による「中華人民共和国」
  • 台湾: 国民党による「中華民国」
2つの中国

国際的な孤立と経済発展

アジア四小龍

当初、西側諸国は台湾(中華民国)を「正統な中国」として扱いましたが、1971年に国連が中華人民共和国を承認し、台湾は国連を脱退しました。

国際的に孤立する中で、台湾は「アジア四小龍(NIES)」の一角として驚異的な経済成長を遂げ、半導体産業などのハイテク国家としての地位を築きます。

民主化への道

民主化

1980年代後半、蒋介石の息子である蒋経国が戒厳令を解除し、民主化への扉を開きました。その後を継いだ李登輝総統(初の台湾出身総統)は、1996年に総統直接選挙を実現。

流血を伴わずに独裁から民主主義へと移行したこの過程は「静かなる革命」と呼ばれます。

李登輝氏は「台湾は中国とは別の存在である」という意識(台湾人のアイデンティティ)を育て、現在に続く台湾の方向性を決定づけました。

現在の台湾:現状維持と緊張の間で

現在の台湾政治は、国家としてのアイデンティティや対中関係のアプローチを巡り、大きく二つの潮流が拮抗する構造にあります。

一つは、現在政権を担っている民進党です。彼らは「台湾の主体性」を何よりも重視する立場をとっています。その根底には「台湾はすでに独立した主権国家である」という認識があり、現状の民主主義体制を守り抜く姿勢を強調します。

中国に対しては毅然とした態度を示し、台湾独自のアイデンティティを確立しようとする傾向にあります。

対するもう一つの勢力は、最大野党である国民党です。彼らは中国との対話や経済交流こそが、台湾の平和と繁栄に繋がると考えます。

あくまで「一つの中国(中華民国)」という枠組みを維持しつつ、中国側との緊張緩和を図ることで、地域の安定と経済的実利を追求する現実的なアプローチを掲げています。

ざっくりわかる台湾政治

台湾政治どっち派?

ざっくりわかる! 2つの大きな考え方

今の政権

民進党

みんしんとう

「ウチはウチ!」

台湾はもう立派な
独立した家(国)だよ。
自分のことは自分で決める!

  • 今の暮らしを守り抜く
  • 中国とは距離を置きたい
最大野党

国民党

こくみんとう

「仲良く話そう」

中国とは対話をして
ケンカしないようにしよう。
商売も大事だよね。

  • 交流して安定を目指す
  • 経済的なメリット重視

※これらは各党の代表的なスタンスを単純化したイメージです

中国の視点と「武力行使」

台湾有事

中国共産党にとって、台湾統一は「歴史的使命」であり、絶対に譲れない「核心的利益」です。近年、習近平指導部は「武力行使も辞さない」という姿勢を隠そうとしておらず、台湾周辺での軍事演習を常態化させています。

日本との関係

日本にとって、台湾はシーレーン(海上交通路)の要衝であり、かつ半導体供給の重要拠点です。高市氏の発言にあった「存立危機事態」という認識は、台湾有事が日本の安全保障に直結するという地政学的な現実を反映しています。

まとめ

台湾の歴史は、外部からの支配者に翻弄されながらも、自らのアイデンティティを模索し続けてきた歴史と言えます。

「中国の一部」という歴史的経緯と、「独自の民主国家」として発展した現実。このギャップの中で、台湾は今、米中対立の最前線に立たされています。

コメント