参政党の「勝利の女神」:梅村みずほさんのプロフィール

梅村みずほ 政治
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いま、参政党の「顔」としてテレビなどによく出ている参議院議員、梅村みずほさん。彼女の政治家としてのキャリアの特徴は、大きな政党からガラリと変わったことや、時には話題になることも恐れない強い信念です。

話題のワダイでは、アナウンサーから政治の世界へ、そして「日本人ファースト」と話す参政党の論客へと変わった、彼女のこれまでの歩みをたどってみます。

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安定した仕事をやめたアナウンサー時代

梅村さんは1978年に、愛知県名古屋市で生まれました。お父さんの仕事の都合で、子どものころはいろいろな地方を点々としました。

あるインタビューでは「宗教のことで苦しんだ幼少期」だったとも話しています。

その後、富山県の高校から立命館大学文学部に進学し、2001年、いわゆる「就職氷河期」の最中に大学を卒業し、何十社も受けた末、大手の旅行会社JTBに入社します。

安定した仕事についたものの、大学時代に放送サークルに入っていてタレント事務所から誘われた経験もあり、「話す仕事」へのあこがれを捨てきれませんでした。

本人が言うには、テレビ局のアナウンサー試験には「ぜんぶ落ちた」そうですが、一度きりの人生だからと安定した仕事をやめ、たった2年でフリーアナウンサーになるという大きな決断をしました。  

フリーランスの道は「生活が大変」と言うほど厳しく、自分で「この先は地獄を見るかも」と覚悟したほどのチャレンジでした。

それでも、大阪や京都を中心にリポーターやキャスターとして仕事の経験を重ね、後には自分で話し方教室を運営するまでになります。

「母親」としての視点と政治への道

母親

私生活では、夫、長男、長女の4人家族のお母さんです。好きな食べ物は「お寿司、焼肉、カルパッチョ」で、マイブームは「音楽にひたること」だそうです。

もともとは政治に強い興味がある「特に応援する党はない人」だったという梅村さん。彼女が政治の世界に向かったのは、「自分たちの世代」としての将来への不安と、二人の子どもを育てる「母親」として「これは自分のことだ」という意識からでした。

特に、出産したあと仕事ができなくなった時、「保育園につれてっても『何々くんママ』ってよばれる」中で、「私ってだれなんだろう」という「自分を見失う気持ち」を経験したことが、社会とどう関わっていくかをもう一度考える大きなきっかけだったと話しています。

この「母親」という視点が、彼女の政治活動の原点であり続けています。

日本維新の会での活躍と、わかれ

日本維新の会

こうして政治の道を志した梅村さんは、2019年、日本維新の会の候補として大阪府選挙区から参議院議員選挙に出て、約73万票を集めて初めて当選します。国会ではいつも「母親」の目で、子どもへの虐待やいじめの問題をなくすために力を注ぎました。  

2022年には党の代表を決める選挙にも出て、「維新を新しくする」と党の中を変えようとアピールするなど、政治へのやる気と行動する力を示します。この代表選挙は、彼女にとって驚くような経験でもありました。

彼女は維新を「クリーンで平等」な、力争いとは関係ないグループだと思っていましたが、実際は「死ぬ気でたたかいなさい」と言われるほどの厳しい党の中の政治の世界であり、「とても驚いた」と後に振り返っています。

ウィシュマ・サンダマリ

しかし、彼女のキャリアは2023年に大きな変わり目を迎えます。入国管理のルールを変える法律の話し合いの中で、入管施設で亡くなったスリランカの女性ウィシュマ・サンダマリさんについて、「ハンガーストライキで亡くなったかもしれない」と発言しました。

さらに、支援していた人たちが「病気のふり」をそそのかしたかもしれない、と話に出したことで、残された家族や人権グループから強い反対の声があがりました。  

梅村さんは「自分の信念にもとづいている」として、言ったことを撤回するのを拒否しました。これに対して、日本維新の会の執行部は、梅村さんのやったことを「党のルールから逸脱する行為」と考え、「党員の資格を6ヶ月停止する」という重い処分を与えます。

党員資格停止

党側は「発言の内容が理由ではない」と説明しましたが、梅村さん自身は「ルールが壊れていたのは党のほうだ」と反論し、両者の間の溝は決定的となりました。  

その後、次の参議院選挙の候補をかけた党の中の予備選挙で敗れ、2025年4月に日本維新の会を離党しました。  

参政党の顔へ:「日本人ファースト」

維新の会をやめたあと、梅村さんは一時、政治活動を「休むべきではないか」とも考え、自由民主党に候補の書類を出すなど、進路を模索していました。

最後に彼女が選んだのは、前から接触があった参政党でした。2025年6月、参政党に入ることと、参議院選挙の全国比例区から出ることを表明。知名度の高い梅村さんが入ったことで、参政党の国会議員は5人となり、国政政党としての要件を満たすことになりました。

新しい場所を得た梅村さんは、「日本人ファースト」というスローガンをはっきりと掲げます。街頭演説では「日本のルールを大事にしてきた」「(ルールに従わないなら)帰っていただかなくてはいけない」と、いままでの「国を大事にする」という枠組みよりも一歩踏み込んだ主張を話し始めました。

勝利の女神

2025年7月の参議院選挙で再び当選すると、党を大きくするのに貢献した彼女を、神谷宗幣代表は「勝利の女神」と称えました。

アナウンサーとして培った、優れた発信する力を武器として、母親としての考え、そして譲らない国についての考えを訴える梅村さん。

その話し方は注目を集めており、テレビの討論番組で社会民主党の福島みずほ党首と共演したときには、視聴者から

「同じ『みずほ』でも、安定感やまともさが天と地ほどちがう」

と比較する声があがるほどでした。

彼女が尊敬する政治家は、昔の中国(唐)の二代目の皇帝・太宗(李世民)で、その言行録『貞観政要』を愛読書としてあげています。

彼女の言うことややることは、賛否両論を巻き起こしながらも、今の日本の政治の中でとても目立つ存在であり続けています。

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