夏の甲子園に、新たな歴史の1ページが刻まれました。滋賀県代表、綾羽(あやは)高校が、春夏通じて初の甲子園で劇的な初勝利を飾ったのです。
この1勝は、単なる勝利ではありません。創立以来の挑戦の歴史、そして昨年の決勝で流した悔し涙を乗り越えて掴んだ、まさに「悲願達成」の物語でした。
創立60年、幾多の挑戦の先に

綾羽高校が産声を上げたのは、今から60年前の1965年(昭和40年)。「綾羽紡績(現・アヤハグループ)」を母体として、地域社会に貢献できる人材の育成を目指して創立されました。その歴史の中で、野球部もまた、滋賀の頂点を目指し、幾度となく甲子園の壁に挑み続けてきました。
1946年に繊維業から始まり、現在ではホームセンター「アヤハディオ」の運営を中核に、不動産、ホテル、ゴルフ場、自動車教習所、エンジニアリングなど、地域の暮らしを幅広く支える11の事業を手がけています。
「企業生活を通じて、社会とともに歩む。」という理念を掲げ、地域密死着の「快適生活応援企業」として、人々の豊かな暮らしに貢献しています。甲子園で活躍した綾羽高校もグループの学校法人です。
県大会で準優勝すること3回。あと一歩で甲子園というところで、何度も悔しい思いをしてきました。それでも、諦めることなくバトンを繋いできた多くの卒業生たちの思いが、今年、ついに実を結んだのです。創立60周年の節目に、これ以上ない大きな花を咲かせました。
因縁の相手に雪辱! 涙の決勝から1年

今年のチームにとって、決勝の相手は特別な存在でした。昨年の滋賀大会決勝で、目前で甲子園の夢を打ち砕かれた因縁の相手、滋賀学園だったからです。
昨年の決勝戦、綾羽ナインはあと一歩及ばず、グラウンドに泣き崩れました。あの日の悔しさを、選手たちは一日たりとも忘れませんでした。「来年こそは、自分たちの手で」。その強い思いを胸に練習に励み、一回りも二回りも大きく成長して、再び決勝の舞台へと帰ってきたのです。
そして迎えた決勝戦。因縁の相手を前に、選手たちは躍動しました。昨年の雪辱を見事に果たし、優勝旗を手にした瞬間、選手たちの目には、1年前の悔し涙とは違う、嬉し涙があふれていました。
このリベンジストーリーこそが、彼らを甲子園での快進撃へと導く、大きな力となったのです。
延長タイブレークの末、甲子園の夜空に響いた校歌

試合は、夏の甲子園史上最も遅い午後7時49分に始まり、歴史的なナイターとなりました。
試合序盤は高知中央が2点をリードし、優位に進めます。しかし、春夏通じて初出場の綾羽が粘りを見せます。5回に犠牲フライで1点を返すと、土壇場の9回には2アウト満塁のチャンスを作り、相手のエラーで同点に追いつき、試合は延長タイブレークへともつれ込みました。

延長10回、綾羽はキャプテンの北川陽聖選手が走者一掃のタイムリースリーベースヒットを放つなど、一挙4点を奪って勝ち越しに成功。その裏、高知中央も中野聡太選手のタイムリーヒットなどで2点を返しましたが、反撃も及ばず。
綾羽が激闘を制し、記念すべき甲子園初勝利を手にしました。
夏の甲子園、史上最も遅い試合終了時刻
この試合の終了時刻は午後10時46分。日本高校野球連盟が試合時間を確認できる1953年以降、夏の甲子園において、試合開始時刻(午後7時49分)と終了時刻の両方で、史上最も遅い記録となりました。

挑戦の歴史と、ドラマチックなリベンジ。多くの人の思いを背負って戦う綾羽高校の夏は、まだ始まったばかりです。滋賀に生まれた新たなヒーローたちの、次なる一戦から目が離せません。
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