演歌歌手・平山花羽(ひらやま はなは)さんが、2026年10月29日に日本歌手協会の「最優秀新人賞」を受賞しました。
デビューからわずか9カ月での快挙ですが、実は彼女、つい2年ほど前まで「岩下の新生姜ミュージアム」で働く普通の会社員でした。
しかも、25歳で歌手の夢を諦めようとしていたところ、ある偶然の出会いから人生が急展開。三山ひろしさんの付き人を経て、28歳で念願の新人賞を手にしたのです。
いったいどんな人物なのでしょうか。年齢や家族、意外な性格、三山ひろしさんとの関係、そして歌手になるまでの道のりをたどると、思わず応援したくなるエピソードが見えてきました。
平山花羽とは何者?28歳で新人賞を受賞した演歌歌手
平山花羽さんは、1998年9月19日生まれ、栃木県栃木市出身の演歌歌手です。2026年11月現在は28歳。身長157cm、血液型B型で、徳間ジャパンから2026年1月21日に「あじさい坂」でメジャーデビューしました。
所属事務所は、松前ひろ子さんや三山ひろしさん、小山雄大さんが所属するミイガンプロダクションです。
キャッチフレーズは「聴けば元気!歌えば笑顔!さわやか娘!」。
2026年10月29日には、東京・浅草公会堂で開かれた日本歌手協会の「第53回歌謡祭」で最優秀新人賞を受賞。司会の小林幸子さんから、デビュー曲にちなんだあじさいの花束を受け取りました。
歌手としては新人ですが、その経歴は決して順風満帆ではありません。
高校時代にNHK「のど自慢」でチャンピオンになりながら、歌手になれずに就職。約5年間の会社員生活を経て、ようやくデビューのチャンスをつかんだ遅咲きの新人なのです。
演歌好きの家族に育てられた少女時代
4歳で「無法松の一生」を熱唱!母と祖父の後押し

平山さんが初めて人前で歌ったのは、わずか4歳の頃でした。
地元の公民館で開かれた文化祭で披露したのは、村田英雄さんの「無法松の一生」。4歳の女の子には、なかなか渋い選曲です。
実はこれを選んだのは母親。歌の練習も母親が手伝ってくれたそうです。
平山さんは祖父母、両親、弟のいる音楽好きの家庭で育ち、小学5年生になると父親の知人たちが組んでいた「おやじバンド」のボーカルも務めるようになります。

そして高校時代には、憧れだったNHKのど自慢に出場するチャンスが訪れました。
ところが、本人はなかなか応募する勇気が出なかったといいます。
そんなとき、祖父から「俺の夢でもあるから出てほしい」と背中を押され、出場を決意。長山洋子さんの「じょんから女節」を歌って、見事に今週のチャンピオンに選ばれました。
翌年の2016年にはグランドチャンピオン大会にも出場しています。
なお、グランドチャンピオン大会で優勝したのは、後に同じ事務所の先輩となる小山雄大さん。平山さん自身は大会出場者です。
このときの出会いが、約8年後、彼女の人生を大きく変えることになります。
音楽専門学校では演歌を封印?進む道を見失った時期
高校卒業後は音楽の専門学校へ進学しましたが、ここで意外な壁にぶつかります。
演歌歌手を目指していたのに、学校では演歌特有の「こぶし」を封印し、2年間ポップスを中心に学んだのです。
音楽の楽しさは広がったものの、自分が演歌とポップスのどちらへ進むべきなのか分からなくなってしまったと、本人はインタビューで語っています。
子どもの頃から歌が上手で、テレビでもチャンピオンになった。それでも、自分が本当に歌いたいものを見失うことがある。
才能があれば迷わずプロになれるわけではないという、少し意外な一面です。
岩下の新生姜ミュージアムで5年間勤務!25歳で夢を諦めるつもりだった

専門学校卒業後、平山さんは地元・栃木県の岩下食品に就職しました。
勤務先は、ピンク色の世界観で知られる観光施設「岩下の新生姜ミュージアム」
2019年から約5年間、受付やレジ、接客だけでなく、イベントの音響や照明なども担当していました。
仕事をしながら歌手になる夢を追い続けていたものの、思うようなチャンスは訪れません。
そこで平山さんは、自分の中で期限を決めていました。

25歳までにチャンスをつかめなかったら、歌手の道を諦める
5年間も働きながら夢を追うのは、簡単なことではなかったはずです。
ところが、ちょうどその25歳の年に、思いがけない出来事が起こります。
8年前に出会った小山雄大が人生の転機に
2024年、平山さんは母親と一緒に、小山雄大さんのデビューキャンペーンを訪れました。
小山さんは、かつてNHK「のど自慢」のグランドチャンピオン大会で知り合った歌仲間です。
その会場で、松前ひろ子さんのファンからカラオケ大会の案内を渡されました。
これが、運命の分かれ道でした。
平山さんは大会への出場を決め、松前ひろ子さんの「人生舫い舟」を熱唱。見事グランプリを獲得し、松前さん本人から声をかけられたのです。
もし小山さんのお祝いに出かけていなければ、このチャンスに出会えなかったかもしれません。
もちろん歌唱力があったからこその受賞ですが、人との縁が人生を変えるというのは、まさにこういうことなのでしょう。
三山ひろしの付き人へ!デビューの保証がないまま会社を辞めた

松前ひろ子さんに声をかけられた平山さんですが、すぐに歌手としてデビューできたわけではありません。
松前さんから伝えられたのは、三山ひろしさんの付き人として現場で勉強する機会を与えるという話でした。
しかも、歌手デビューを保証するものではないとはっきり説明されたそうです。
それでも平山さんは、約5年間勤めた岩下食品を退職。
2024年8月、退職したその日の夜に栃木から東京へ移り、翌日には三山ひろしさんの公演の稽古現場に入っています。
この決断には驚かされます。
安定した会社員生活を離れるのに、歌手になれる保証はない。それでも好きな音楽の世界で働けることがうれしかったと、本人は振り返っています。
付き人として学んだ「明るく楽しく元気よく」

三山ひろしさんの付き人生活では、舞台裏の準備や身の回りの気配りなど、初めて経験する仕事ばかりでした。
お茶の出し方、靴のそろえ方、先を読んだ行動。歌唱技術以前に、プロの現場で求められる姿勢を一つずつ身につけていきます。
そして三山さんから教わった言葉で、特に大切にしているのが「明るく楽しく元気よく」。
自分がどんな状況でも明るい気持ちで歌うことで、聴いている人にも笑顔を届けられるという教えです。
平山さんのキャッチフレーズ「さわやか娘」にも、この経験がよく表れているように感じます。
約1年4カ月にわたる修業を経て、2026年1月、ついにメジャーデビューが実現しました。
平山花羽の家族や性格、恋愛観は?素顔も意外と親しみやすい
経歴を聞くと、かなり強い意志を持った女性という印象ですが、実際の性格はどうなのでしょうか。
徳間ジャパン公式サイトの「平山花羽へ27の質問」では、本人がさまざまな質問に答えています。
自分の性格は「負けず嫌い」。長所は明るく前向きなこと、短所は優柔不断なことだそうです。
趣味はギター、ストレス解消法は映画を見ること。歌う前には柔軟体操を欠かさず、寝る前のストレッチも日課にしています。
恋愛観については、好きな男性のタイプを「価値観の近い人・安心感を与えてくれる人」と回答。初恋は小学5年生だったことも明かしています。
一方、結婚や現在の交際相手については、公表された確かな情報を確認できませんでした。
家族については、祖父母、両親、弟がいると紹介されています。特に母親と祖父が歌手への道を応援してきたことは、幼少期のエピソードからも伝わってきます。
また、公式プロフィールで「今まで一番悲しかった事」として挙げているのは、応援してくれていたひいおばあちゃんを亡くしたこと。
華やかなステージの裏には、家族や身近な人を大切にする素顔もあります。
「花羽」という芸名は松前ひろ子が名付けた
もう一つ興味深いのが、名前の由来です。
2026年3月、栃木市ふるさと大使への就任式で、松前ひろ子さんが「花羽」という芸名の名付け親であることを明かしています。
三山ひろし、小山雄大、平山花羽と、みんなの名字に「山」が入ることにも松前さんのこだわりがあるそうです。
「花羽」という名前には、全国に花を咲かせて羽ばたいてほしいという願いが込められています。
実際に新人賞を受賞した今、その名前が少しずつ現実になってきているようです。
デビュー曲「あじさい坂」は初恋の歌!今後は紅白出場も目標

2026年1月21日に発売された「あじさい坂」は、栃木市の太平山神社にある「あじさい坂」を舞台に、叶わなかった初恋を歌った作品です。
本人によると、レコーディングでは当初こぶしを強く入れて歌っていましたが、爽やかな初恋の歌に合わせて、こぶしを控えめにするよう指導されたそうです。
演歌の力強さだけでなく、透き通った声と優しい表現を生かした曲になっています。
このデビュー曲は、2月2日付オリコン演歌歌謡ランキングで初登場1位を記録しました。
さらに6月には、故郷のあじさい坂で凱旋ライブを開催。同じ日に、かつて働いた岩下の新生姜ミュージアムにも戻っています。
そこで披露したのが、岩下食品の岩下和了社長のギター伴奏による八代亜紀さんの「舟唄」。
元社員と社長が一緒に音楽を奏でるという、なんとも温かい光景です。
そして10月29日には、日本歌手協会の最優秀新人賞を受賞しました。
ただし、これは日本レコード大賞の最優秀新人賞とは別の賞です。平山さんは日本レコード大賞の新人賞や、将来的なNHK紅白歌合戦出場も目標に掲げています。
また、2026年9月の初バースデーライブでは、大好きなシュークリームを使った特製ケーキで祝福され、ギターの弾き語りにも挑戦しました。
本人は今後、自分自身のコンサートを開催することにも意欲を見せています。
演歌を軸にしながら、どんな表現の幅を広げていくのかも楽しみです。
まとめ|遠回りしたからこそ魅力がある平山花羽
平山花羽さんの経歴を振り返ると、歌の才能だけでここまで来たわけではないことが分かります。
家族に支えられた子ども時代、音楽の方向性に迷った専門学校時代、5年間の会社員生活。そして25歳で迎えた最後の挑戦。
何より印象に残ったのは、歌手になれる保証がないまま会社を辞め、三山ひろしさんの付き人になった決断です。
簡単に成功した人の物語より、迷って遠回りして、それでも好きなことを諦めなかった人の物語には、どこか共感できるものがあります。
最優秀新人賞はゴールではなく、ようやく立ったスタート地点なのかもしれません。
いつか紅白歌合戦でその姿を見る日が来たら、岩下の新生姜ミュージアムで働いていた頃を知る人たちは、きっと特別な気持ちになるでしょう。
今後の活躍を応援したくなる、そんな演歌歌手です。


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