2026年9月、日本代表に初招集された谷村海那。
横浜F・マリノスでゴールを重ねる28歳のFWですが、ここまでの道のりは決してエリート街道ではありませんでした。
プロキャリアのスタートはJ1でもJ2でもなくJFL。
しかも加入1年目には、「このままじゃ1年で終わるぞ」とまで言われた選手です。
そこから身体もプレースタイルも作り直し、JFL、J3、J2、J1と一段ずつ上がって日本代表まで到達しました。
谷村海那とは、どんな選手なのでしょうか。
谷村海那は何者?28歳で日本代表に初招集
谷村海那は1998年3月5日生まれ、岩手県盛岡市出身。
大谷翔平の母校としても知られる花巻東高校から国士舘大学へ進み、2020年に当時JFLだったいわきFCへ加入しました。
3歳上の兄・谷村憲一さんも元Jリーガーで、谷村がサッカーを始めたきっかけも兄の存在でした。
その後はいわきFCとともにJ3、J2へ昇格し、2025年に横浜F・マリノスへ移籍。
27歳で初めてJ1の舞台に立ち、2026年9月17日に日本代表へ初招集されています。
若い頃から年代別代表に選ばれてきたタイプではなく、時間をかけてカテゴリーを上がってきた遅咲きの選手です。
大学時代はFWではなくボランチ
さらに意外なのが国士舘大学時代です。
現在はストライカーとして知られる谷村ですが、大学では主にボランチとしてプレーしていました。
4年時には関東大学リーグ2部で9アシスト。
得点を狙うより、パスでチャンスを作るタイプだったといいます。
当時を振り返る記事では「中盤の王様」と表現されたこともありました。
現在の姿とはかなり違います。
JFL加入1年目、「このままじゃ1年で終わるぞ」

2020年、谷村はいわきFCへ加入します。
しかし1年目はほとんど試合に出られませんでした。
本人によれば、シーズンを通した出場時間は100分前後。
大きな理由は「走れないこと」でした。
高い運動量を求めるいわきFCのサッカーに、当時の谷村の身体がついていかなかったのです。
そこでスタッフから言われたのが、「このままじゃ1年で終わるぞ」という言葉でした。
本人も当時は「やってられるかよ」と感じたことがあったと振り返っています。
食事も身体も作り直した
ここから谷村は生活そのものを変えていきます。
練習後に一人で走り、食事も低脂質中心に変更。
毎日の食事を記録し、スタッフに確認してもらいながら身体を管理しました。
遠征にも体重計を持参し、最終的には体脂肪率を10%以下まで絞ったといいます。
単純に練習量を増やしたのではなく、サッカー選手としての身体を一から作り直したわけです。
いわきFC時代の田村雄三監督とは何度も衝突したそうですが、監督は谷村が人に見えないところで努力していることも知っていました。
JFLからJ3、J2へ。そして26歳で大ブレーク

谷村の成長は一気ではありませんでした。
2022年はJ3で29試合6得点。
2023年はJ2で41試合7得点。
そして2024年、26歳で大きくブレークします。
J2で38試合18得点。
得点ランキング2位タイに入り、J2ベストイレブンにも選ばれました。
大学時代にはゴール前でもパスを探していた選手が、ここで完全に「点を取るFW」へ変わっていきます。
27歳で初J1、デビュー戦でいきなりゴール

2025年7月、横浜F・マリノスへ完全移籍。
27歳で初めてJ1へ挑戦します。
しかもJ1デビューとなった名古屋グランパス戦でいきなり先発し、前半35分に初ゴール。
本人は試合前について、「緊張して吐きそうでした」と振り返っています。
JFLから一段ずつ上がってきた選手が、J1最初の試合から結果を残しました。
そして28歳で日本代表へ
J1移籍後も得点を重ね、2026年9月に日本代表へ初招集。
谷村自身も、
「言葉にならないくらいビックリしました」
という趣旨のコメントを残しています。
そして、JFL時代について振り返った言葉が印象的です。
「あの時逃げなくてよかった」
もし「このままじゃ1年で終わるぞ」と言われた時に逃げていたら、今の谷村はありません。
なぜ谷村海那が日本代表に選ばれた?
理由は得点数だけではありません。
森保一監督は谷村について、得点力に加え、攻撃や守備でチームの戦術に関わりながら最後にゴールを奪える部分を評価しています。
ここが面白いところです。
若い頃の谷村は「走れない」ことが弱点でした。
ところが現在は、守備でも走り、攻撃に参加し、最後はゴール前へ入っていく。
かつての弱点を、長い時間をかけて代表レベルまで引き上げたことになります。
「日本代表で得点を量産する」
谷村は代表初招集後、今後の目標として、
「日本代表で得点を量産する」と話しています。
大学時代にはパスを選んでいた選手。
JFLでは「走れない」と言われた選手。
その谷村が28歳になり、日本代表でゴールを狙うところまで来ました。
かなり遠回りした選手だからこそ、この言葉には重みがあります。
まとめ
谷村海那は、高校時代から注目され続けてきたエリート選手ではありません。
JFLではほとんど試合に出られず、「このままじゃ1年で終わるぞ」と言われました。
そこから身体、食事、考え方まで変え、J3、J2、J1へ。
そして28歳で日本代表までたどり着きました。
本人が語った「あの時逃げなくてよかった」という言葉が、谷村海那のキャリアを最もよく表しているのかもしれません。
遅咲きのストライカーが、日本代表でどこまでゴールを重ねるのか注目です。


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