15秒という短いサイクルで消費される動画の海の中で、なぜ彼女の歌だけが指を止めさせたのでしょうか。
椎名林檎の名曲「幸福論」。1998年にリリースされ、当時の熱狂を象徴するバイブルとなったこの曲を、2026年の今、来島エルはあえてウクレレ一本で歌い直しました。
そこにあるのは、キラキラとした癒やしではありません。もっと切実で、どこかヒリヒリとした、生存確認のような響きです。
「引きこもり」という名の聖域で育まれたもの

彼女の背景には、米国ワシントン州から日本へという大きな環境の変化があります。その過程で経験したのが、全寮制高校での引きこもり生活でした。
日本の学校文化、例えば「みんなで声を合わせる合唱」のような同調圧力に馴染めず、自ら部屋に閉じこもることを選んだ日々。しかし、その孤独な空間こそが、彼女にとっての聖域となりました。
誰に聴かせるでもなく、ただ自分のために紡いだ歌。少ない友人の前で初めて即興の歌を披露し、受け入れられた時の震えるような記憶。彼女の歌声に宿る切実さは、技術として磨かれたものではなく、あの閉ざされた部屋から外の世界へと繋がろうとした、命の産声そのものなのです。
独自のハイブリッド:ゴスペルの祈りとウクレレの孤独

彼女の音楽を語る上で欠かせないのが、幼少期に親しんだゴスペルや讃美歌というルーツです。
本来、ゴスペルは大勢で声を合わせ、天に向けて放たれる集団の祈りです。しかし彼女は、その力強く太い発声法を、最もパーソナルで小さな楽器の一つであるウクレレと掛け合わせました。
ウクレレの素朴でどこか頼りない音色は、一人きりの部屋の静寂を想起させます。そこに、魂を揺さぶるようなゴスペル仕込みの歌声が重なる。この「巨大な祈り」と「ごく私的な孤独」の衝突が、聴き手の胸を抉るような独特の引力を生み出しています。
あの名曲「幸福論」に、今さら涙する理由

1998年の原曲が持っていた
「君が其処に生きているという真実だけで幸福なのです」
という真っ直ぐなメッセージ。
来島エルのカバーは、それを輝かしい愛の告白から、傷だらけの自分への肯定へと昇華させています。
人生がけっして綺麗なものだけではないことを知った大人たち。彼女の声は、かつての記憶を呼び覚ますだけでなく、今この瞬間を必死に生きる私たちの孤独を、そのまま受け入れてくれるのです。
オリジナル曲にみる、飾らない本音
カバー曲で彼女の存在を知ったなら、ぜひオリジナル曲も聴いてみてください。

2025年10月にリリースされた「ちゃちな愛」では、美化されない日常の泥臭い感情が綴られています。さらに、同年後半に発表された「君はまだ種」でも、彼女は完成されていないことの尊さを歌っています。
彼女の音楽は、完成されたスターを仰ぎ見るためのものではなく、迷いながら歩む私たちの隣に座ってくれるような、不思議な近さがあるのです。
結び:2026年、私たちは彼女の共犯者になる

代官山のライブハウス、晴れたら空に豆まいてで行われる彼女の演奏は、SNSの画面越しで見るよりもずっと熱く、剥き出しです。
ウクレレ・マガジン 2026年冬号のインタビューで、彼女は「自分の孤独が、誰かの居場所になればいい」と語っていました。
メジャーシーンの完璧に加工されたポップスに飽き、本当の体温を求めている人々にとって、来島エルは2026年、なくてはならない存在になるでしょう。古参として彼女を支えることは、自分自身の孤独を少しだけ愛し始めることと同じなのかもしれません。


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