最近、SNSやYouTubeで圧倒的な発信力を放ち、永田町を揺るがしている原口一博さん。彼の激しい動きを見ていると、ふと彼のお名前に隠された「奇跡的な偶然」に思い当たります。
苗字の終わりと名前の始まりを繋げた、「口一」という並び。 これがカタカナの「ロー」に見えるのは、単なる偶然でしょうか。
長年、組織という枠組みの中で「ロー」な低空飛行を続けてきた彼がいま、その名前の呪縛を解き放つように、驚くべき「ハイ」な情熱を爆発させています。
組織に生きた、長い「ロー」の時代

原口さんのキャリアは、まさに日本の政治史そのものです。 新進党で初当選し、民主党政権では総務大臣として表舞台に立ちました。
その後もいくつもの政党を渡り歩いてきましたが、その姿は常に「野党第一党の重鎮」という安定した、しかしどこか抑制された(ローな)枠の中にありました。
立憲民主党という大きな組織のルールを守り、足並みを揃える。それは政治家の王道かもしれませんが、彼本来の情熱は、組織という重力によってどこか抑え込まれていたようにも見えます。
覚醒の理由 – 生死をさまよった「病」という転機

そんな彼がなぜ、ここまでの「覚醒」を遂げたのか。その最大の理由は、2023年に公表された悪性リンパ腫(がん)との壮絶な闘いにあると言えるでしょう。
治療の影響で髪が抜けても、ありのままの姿で国会に立ち続ける。死を身近に感じたその極限の経験こそが、彼から「組織への遠慮」を完全に削ぎ落としたのではないでしょうか。

「残された時間で、自分は何をなすべきか」
その切実な自問自答が、これまでの自分を縛っていた重りを外し、一気に「ハイ」へと突き抜ける翼を与えた。それこそが、現在の彼が「覚醒」したと言われる真の理由なのかもしれません。
そして、加速する「原ハイ博」への新境地
いま、原口さんの勢いは止まりません。YouTubeでの連日のライブ配信、反グローバリズムの提唱、そして既存の党方針を恐れぬ大胆な発言。その熱量は、立憲民主党という枠を軽々と飛び越え、ネット上で爆発的な支持を集めています。

最近では、対立する自民党政権の答弁に頷いてみせる場面もあり、その「独走」ぶりに党内からは困惑の声も上がっています。
私は、この突き抜けた状態を親しみを込めて、あるいは驚きをもって「原ハイ博(はら・ハイ・ひろし)」と名付けました。一度「ハイ」に離陸してしまった情熱は、もう誰にも止められません。
離党の先に、あの二人と歩む未来を

ここで、多くの人が気にかけているのが原口氏の「離党理由」や、その後の去就です。 これほどまでに「独立自尊」を掲げ、日本を強くしようと叫ぶ原口さんですから、その行き先は、巨大組織である自民党であってほしくない、と私は強く感じています。
むしろ、国民民主党で頑張っている玉木雄一郎さんや榛葉賀津也さん。彼らと手を取り合う姿を見てみたいのです。

「対決より解決」を掲げ、リアリズムで動く彼らと、病を乗り越えて「真実」を追い求める原口さん。日本を思う熱い気持ちや、これまでの政治手法への問題意識など、根底にある考え方は近いはずです。
「ロー」という名前の文字を、情熱の「ハイ」へと書き換えた原口さん。 彼が次に着陸する場所が、既存の枠組みを超えて日本の未来を明るく照らす「第3の道」であることを、切に願ってやみません。


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